FC2ブログ
   
12
1
2
3
4
5
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
31
   

最後の一枚。

      img005.jpg
振り返れば50年
戦前に親父が働いていた 大阪の大きな酒の卸問屋に勤める先輩から
「大阪で商売をやらんか?」と声がかかり
丹波の田舎から 何も知らない世界へと 家族4人飛び込みました。
場所は西成、飛田新地の中にある大きな大衆酒場(立ち飲み4~50人)
店の2階の一室で寮生活 三か月の特訓が始まりました。
両親は朝6時に起きて仕込み 9時に開店
朝から客が飲みに来ます。
夕方には近くのドヤ街から労働者が詰めかけ連日超満員
酒癖の悪いのが何人もいて喧嘩もしょっちゅう
中には腹巻にドス(短刀)を忍ばせて飲む人も・・・
私も専門学校に通いながら6時から10時まで
皿洗いや接客もやりました。
12時閉店すべて終わるのが午前2時過ぎ
毎日3~4時間しか眠れず 月に一日の休み
三か月後には加島に店を開店
初日から酒の無料券を配って超満員
家族一丸となって自分の店にするため(頑張れば買い取れるのです)
必死でした。
高度成長期の波にも乗れ繁盛しました。
居酒屋チェーンのはしりでした。
丹〇屋チェーン→大型居酒屋百〇チェーン→枝分かれして酔〇伝チェーンと
全国展開しておられます。

私は親父に「店を手伝う でも10年後には食堂にしても良いか?」と
親父も渋々了解してくれていました。
結局親父が倒れるまで・・・20年後になりました。
親父が入院して母が付き添いで病院で寝泊まりしていたので
初めてパート募集をして来てくれた女性と二人で
メニューはとんかつだけで始めました。
その後 うどん、丼、ハンバーグ、ビーフステーキ、スパゲティ、散らしずし、カレー、・・・
近所に駅ができてマンション建設などでお客さんも増え
繁盛したころは 昼6人 夜3人の従業員で営業していました。
しかしその後 工場が縮小、倒産、など働く人が少なくなっていきました。
私の店も縮小、縮小、と・・・
成長しているときは楽しいものですが 衰退していくのは辛いものですね。

閉店を決めて 娘は泣いてくれました ママはようやく決断してくれたという
思いでしょう 私は来るべき時が来たと・・・
さあ~これからどうしょう?
前向きに進むしかない
健康だけは お願いします。
スポンサーサイト

おおさかものずくりコレクション匠の技。

梅田のハービス大阪でおこなわれた
子供たちに匠の技術を教えていただける会場に
行ったときのものです。
事前に予約をしておく必要があったのですが
ま~見るだけでも勉強になるからと・・・
軽い気持ちで行きました。
やはり満席、キャンセル待ち、今申し込んでも
2~3時間待ち・・など・・・
そんな中、教えていただいたものです。
IMG_4611.jpg

    IMG_4598.jpg
牛革を使ってキーホルダーを(2本)作りました。
上手だと褒められたようです。

IMG_4619.jpg

板金の技術も教えていただきました。

    IMG_4631.jpg
30分くらいかかったでしょうか?
真剣に頑張っておりました(レリーフ作り)

  IMG_4658.jpg

石のはんこや、時計なども、作りたかったようですが
今回は残念でした。

プロフィール

GGgohan

Author:GGgohan
振り返ってみれば、
いつも人とは違う人生を、
歩んできたようです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

カレンダー

11 | 2017/12 | 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

FC2カウンター

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

QRコード

QR